令和7年1月23日
新春恒例の七福神巡りは令和7年1月12日、千住宿の「千寿七福神」を巡り、参拝してきました。
千住宿は江戸四宿の一つで、日光道中の整備の一環として千住周辺の集落を街道沿いに集め造られ、日光道中、奥州道中の初宿として定められた宿場町です。このコースは旧日光街道の西側にある七つの神社に七福神が祀られ、距離は約6Kmと歩くにはやや長い距離です。
当日の出席者は世羅高東京校友会関係者8名(1名途中参加含む)、東京馬洗会(日彰館高等学校同窓会東京支部)から4名参加いただき、出発は総勢11名で、集合場所の北千住JR改札出口に9時30分集合いたしました。
当日の天候は曇り、気温は最高気温8℃と、ちょっと寒いかなと予想していましたが、風はほとんど無く七福神巡りにはまずまずでした。

河原町神社前にて
まず北千住駅から路地裏を抜け、東京芸大の横を通り17分ほど南下し、仲町の氷川神社に到着です。ここの社殿の横の岩屋に弁財天があり、1689年に建立された珍しい弁天像供養庚申塔として祀られています。一回目のお参りをしました。

仲町氷川神社の弁財天
次に千住仲町公園を経て、西に4分ほど進むと河原町稲荷神社に到着です。ここの神社には福禄寿があり、福禄寿の前で、昨年12月に右足骨折をした新田さんと合流し、二回目のお参りをし、記念写真を撮りました。新田さんは長い距離を歩けないのでここでお別れしました。
次に八幡神社まで8分ほど北上です。八幡神社は八幡太郎義家が奥州攻めに向かう途中、渡裸川(現在の隅田川)に安全な浅瀬を見つけ、この地に白旗を掲げたのが始まりと言われています。ここの八幡神社には毘沙門天が祀られています。ここで、三回目のお参りをしました。
次に5分ほど北上し、十月桜がきれいに咲いていた千住神社に到着です。当神社は926年に稲荷神社として始まり、源義家が奥州攻めの戦勝祈願をしたと伝わっています。この神社には恵比寿天が祀られています。ここで、四回目のお参りをしました。
次に20分位北上し、元宿神社に到着です。ここの神社には寿老神が祀られ、「ぼけ封じ」の札が掛けられていたので、より念入りに五回目のお参りをしました。
次に元宿神社より東に10分ほどで千住公園に到着しました。ここで5分トイレ休憩し、更に6分ほど東に向け歩き、大川町氷川神社に到着です。ここの神社には今でも登られる富士塚があり千住でも人気の神社です。ここには布袋尊が祀られています。ここで六回目のお参りをしました。
次に最後の千住本氷川神社に向け南下し、15分ほどで到着です。ここには足立区登録有形文化財の大黒天が祀られています。ここで七回目のお参りをしました。
ここは足立区のラジオ体操発祥の地で、七福神巡りの終点でもありましたので、全員で整理体操をし、2時間15分位歩いた筋肉をほぐし、疲労を回復いたしました。
少し長い行程でしたので、できるだけ最短距離となるよう路地裏も歩きました。
長い距離にもかかわらず、皆さん元気よく歩かれ、トラブルも無く、七福神にお参りできたことは参加者の皆様の配慮のおかげで、気持ちの良い、充実した日でした。
最後は予定通りの時刻、11時55分、北千住駅の東出口1分にある「マダム アン ホームキッチン」に到着し、懇親会を開催しました。新田さんも合流し、中国の本場の家庭料理の味を堪能し、飲み放題のお酒もいただき、今年の抱負を語り合い、特別なひとときを過ごすことができました。
東京馬洗会の皆様も「千寿七福神巡り」にご参加いただきありがとうございました。また、今日参加できなかった皆様も、是非一度、「千寿七福神巡り」を一度歩いてみてください。